子どもに宿題をさせるのは親の務め??
プレシャス・マミーメンターコーチの谷亜由未です。さて、ちょっと長いですが、お付き合いください。
私は常々疑問に思っていました。どうして世のママたちは、「宿題やりなさい!」「勉強しなさい!」と言ってはイライラしているのか。子どもが宿題をやらなかったら、親は宿題をさせなければいけないのか?勉強しなかったら、隣に付き添ってでも勉強させなきゃいけないのか?
「それをするのは親の務めでしょ」と思っている親御さんは多いと思います。
学校の先生ですら「おかあさん、宿題や忘れ物がないように注意してください」とおっしゃるようです。ある進学塾では、「プリントを整理するのはお母さんの仕事です」というそうです。でもそれって、ホント?? ホントのホントにそうしなきゃいけないの??
私親から「宿題をやりなさい」も、「勉強しなさい」も、言われたことはありません。そしてわが息子にも言ったことがありません。
言わなくてもやったから?? いえいえ、うちの息子、大学受験の時も、部屋のドアを開けるとゲームしてたり、ガンガン音楽掛けてたり、誰かとチャットしてたり・・・、ずっと勉強している姿を見ていたわけではありません。
もちろん小学校のころは、宿題をやらなかったことはありません。・・というか、だと思います。正確には、それを把握していません。なぜなら、私の問題ではないからです。宿題をやったかどうかなんて、まったく気にしていなかったのです。ある意味やって当たり前だし、やると信じていたから、なのですが。
もしやらなかったとしても、私は「やりなさい。」とは言わなかったでしょう。言うとしたら、「宿題やらなくていいの?」です。「やらなくていいの。」と言ったら、「あ、そう。」 以上(実際夏休みの宿題は「これはやらなくてもいいの。」と言って、いくつもやらなかった苦手な宿題がありました。)
でもね、それだからこそ、 息子は自分事として、自分の責任で、宿題をこなして行ったんです。宿題をするのって、誰の問題ですか?勉強するのって、誰の問題ですか?
子どもの問題でしょう。
それを親が「やりなさい!」と命令するのは、その時点で親の問題として、親が取り上げてしまっているのです。それを続けるから、子どもにとって宿題も勉強もどんどんと自分事ではなくなる・・・。
「子どもだから、一人でできないから、見てあげるのが当たり前でしょう。」そう思いましたか?私からすると、小学校高学年以上になっても、隣につきっきりで勉強を見ているなんてことは、目ん玉飛び出して戻らないくらい、アンビリーバボーな話です。親にはほかにやるべきことがあるはずです。そんな時間があるのなら、社会のために何かする方がよっぽど価値がある。
あなたはなぜ、子どもがひとりで「できない」と思っているのですか?「できない」「きっとやらない」と思っているからそうなるのです。「絶対やる」「いつかやる」「やらなきゃ!って気づくときが必ず来る」それを信じていたら、「やりなさい」なんて言葉は出てこないはずなのです。
宿題をやらずに学校へ行って、授業がわからなくて困っても、それは子どもの問題。先生に叱られても、それは子どもの問題。成績がどんどん落ちて行っても、それは子どもの問題。ドンドン落っこちて、どん底になって、もうどこの高校にも行けないかもしれない・・・。その時初めて気づくかもしれません。
または、「勉強向いてないや。でもこのままじゃ大人になって生きていけないから、何かしなきゃ。」と専門学校を選ぶかもしれません。
そうやって子どもが自分で気づいて、自分で人生の責任を持つようになるチャンスを、親が奪ってはいけないのです。そうなるために、小さいころから 子どもに与え過ぎないでください。助けすぎないでください。
そして親も子どもに伝え続けてください。「言っとくけど、20歳になったらもう、あなたの面倒はみないからね。その時までは何とかしてあげるけど、その先は自分で稼いで自分で生きて行ってね。」
親も腹をくくるのです。
でも「何もしない」ということではありません。唯一することは、見守ること。もし子どもから、SOSが出たら、その時はサポートしてあげること。
(サポートとヘルプは違います。おなかのすいた子に、魚を与えるのではなく魚の釣り方を教える、というのは よく言われるたとえ話です。高い木になっているリンゴを子どもが食べたいと言ったら、リンゴを取ってあげるのはヘルプ、どうやったらとれるかな?と一緒に考えて、ハシゴの下を支えてあげているのがサポートです。)
とにかく、子どもが自らSOSを出すまで、黙って見守るのです。それが親の務めです。親の信じる力が、子育てで試されているのです。
「子どもを勉強させるのは親の務め」から「子どもが勉強するのは子ども自身の問題」に変えて行かないと、ドンドン日本人が弱くなる気がします。
もうすでに読まれたでしょうか?
「嫌われる勇気」
自己啓発の源流「アドラー」の教え
ダイヤモンド社
アドラー心理学の本です。ここにも書いてあったので、やっぱりそうだよねー、と思って書いた次第です。
【以下引用】
勉強することは子どもの課題です。そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。それでは衝突を避けることはできないでしょう。
われわれは「これは誰の問題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。
・・・・・・・
確かに世の親たちは、頻繁に「あなたのためを思って」という言葉を使います。しかし、親たちは明らかに自分の目的、それは世間体や見栄かもしれませんし、支配欲たすために動いているかも知れません。
つまり「あなたのため」ではなく、「わたしのため」であり、その欺瞞(ぎまん)を察知するからこそ、子どもは反発するのです。
【引用ここまで】
どうぞお子さんを信じられる親でいてください。お子さんが誰より信じてほしい人は、親であるあなたなんです。信じることが最高の承認です。
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